飛行機は、海の上を低く飛んでいた。
窓の外には、ちぎれた雲と、小さな島々が浮かんでいる。波まで見えた。こんなに低い場所を飛ぶ飛行機に乗ったのは初めてだった。

プロペラの音が、絶えず機体を震わせている。
その音を聞いているうちに、なぜ『紅の豚』の飛行機がみなプロペラ機だったのか、少しだけ分かった気がした。古い機械の音には、妙に安心するところがある。
機内は思ったより広かった。
誰も大きな声を出さない。
雲の切れ間から島が見えるたび、自分がどこへ向かっているのか分からなくなった。
島が近づくにつれ、景色から色が減っていった。
空港に降り立った時、妙な感じがした。
ここには、人がいない。
いや、昔はいたのかもしれない。つい最近まで。
ただ、今はいなくなってしまっただけで。
あるいは今もどこかにいるのに、私には見えていないだけなのかもしれなかった。

空港の向かいで車を借りた。
道は細く、草が深かった。
崖のそばに車を停め、長い草むらを抜けると、急に海が現れた。
「落ちたら終わりですよ」
松浦さんがそう言った。
私は「終わるなら、それでもいいですよ」と答えた。
けれど実際には、足が少し震えていた。高い場所が苦手だった。崖へ近づくほど、頭がぼんやりした。
風だけが強かった。

下には、小さな砂浜が見えた。
六畳ビーチ、と呼ばれているらしかった。
海は暗く、波だけが白かった。

車へ戻る途中、草の擦れる音が、後ろから誰かが歩いて来る音に聞こえた。振り返っても誰もいない。
次に向かったのは、立神岩だった。
海の上から見れば、あの岩には本当に神が住んでいるように見えるだろうと思った。島から見ると、神様というより、ただ長い時間だけがそこに立っているようだった。

岩の近くには、立入禁止の場所があった。
赤いロープが風に揺れている。
島へ来てから、禁止の看板だけが妙にはっきり目についた。
車はそのまま海沿いの道を走った。
右には崖が続き、左には草原が広がっている。空が近かった。まるで島全体が、どこか空中へ浮いているようだった。

しばらく走ると、馬が道を塞いでいた。
野生の馬だった。
こちらを見ても動かない。
松浦さんは黙って車を止めた。
私が外へ出ると、馬はこちらを見ていた。
人間に道を譲る理由など、自分たちにはない。そんな顔だった。
私は少しだけ話しかけてみたが、もちろん意味はなかった。

それでも最後には、車一台ぶんだけ隙間を空けてくれた。
車がその間をゆっくり通り抜ける時、馬の体温の匂いがした。
島へ来てから、自分が夢の中にいるのか、昔の記憶の中へ入り込んでいるのか、よく分からなくなっていた。
観光客らしい人影が時々見えた。
けれど近づく前に、みな消えてしまう。
気づけば、また誰もいない。
最後に向かったのは、志木那島診療所だった。
着いた頃には夕方になっていた。
本当なら、夕陽の中に小さな診療所が浮かぶ景色を見られるはずだったらしい。だが空は曇っていて、海の色も鈍かった。
診療所の窓だけが、ぼんやり光っていた。
それを見ているうちに、少しだけ現実へ戻ってきた気がした。

ここへ来るまでは、ずっとアニメの世界にいた。
けれど診療所だけは、日本の古いドラマの景色だった。
もし何か仕事を覚えて、この島で歳を取っていくことができたなら。
そういう人生も、悪くない気がした。
帰る頃には、腹が減っていた。
私たちは空港前の店へ戻った。
そこはレンタカー屋でもあり、食堂でもあった。島で夜まで開いている店は、ほとんどないらしい。
温かいものを食べると、不思議と現実感が戻ってきた。

昼間のあの妙な感覚も、ただ空腹のせいだったのかもしれないと思った。
外では雨が降り始めていた。
細い雨だった。
風が止み、島全体が静かになった。
私は壁に張り付いたヤモリを見ていた。

ヤモリもまた、ずっと前からここにいるような顔をしていた。
昼間見た海も、崖も、馬も、本当に存在していたのか、自信がなくなっていた。
雨音だけが、いつまでも続いていた。

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